Colors of the Rainbow : Dan Kanemitsu's Log
虹の色:兼光ダニエル真ログ帳

なぜ、我々が戦うか
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現在日本の国会において児童ポルノ法の範囲が広げられるのに反対する理由は人によって千差万別でしょう。私の反対する理由は比較的明解です。

現時点において日本の児童ポルノの定義があまりにも曖昧である故に捜査権の乱用を招く可能性が高い為、私は日本において児童ポルノの単純所持の違法化に反対しています。

現在の日本の法律における児童ポルノの定義とは次のように定義しています:

一 児童を相手方とする又は児童による性交又は性交類似行為に係る児童の姿態
二 他人が児童の性器等を触る行為又は児童が他人の性器等を触る行為に係る児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの
三 衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの[1]

私は最初の二つの条項についてはほとんど不満がありませんが、三つ目の条項の規定する定義がすさまじく主観的であるのに驚きを禁じ得ません。この定義をもってすれば、撮影された背景やその前後の脈絡とはまったく関係なく、18歳未満の人間の裸体及び一部服が乱れている人間の写真や映像を総て犯罪性があるものとして区分する事が可能です。「ナショナル・ジオグラフィック」と言った自然や民族に焦点を当てた権威ある一般雑誌の紙面も誰かの性欲を「興奮させ又は刺激」した場合は児童ポルノとなってしまいます。風呂場で遊んでいる子供や着替え中の子供たちの写真を含む家族アルバムも児童性愛者の手に入れば児童ポルノとなります。

言うまでも無いのことですが、日本の法律に於いて児童とは「18歳未満の人間」を規定されています。現行の法律は既にこれらの売買・製造・配布を禁じており、同法案が最初に可決した9年経った今日に於いて尚、裁判所はこの定義の範囲をどのように規定すべきか困っています。

単純な解決策の一つとしては三つ目の条項を削除するのもありえるでしょう。しかし少しでも問題ありと思えるような作品を警察が容易に追求できるようにしたいと考える議員らはこの条項の削除には反対しています。彼らは警察がこの捜査権をみだりに活用しないと主張します。私は警察が本当にそのようにこの法律を運用出来るかどうか疑問を感じずには居られません。

現時点で審議が行なわれている法案の中に於いて児童ポルノの範疇にアニメ・マンガ・ゲームと言った創作物を含むのは見送られていますが、与党の法案の中で「創作物の影響を調査」して法律が施行された3年後の改訂の際に再び創作物の規制について審議すると附則が盛り込まれています。多くの議員や倫理意識が非常に強い方々が創作物の違法化を狙っているのが火を見るより明らかです。ユニセフと提携して活動している日本の民間団体、現在日本ユニセフ協会は署名キャンペーンを通して想像上の18歳未満の性行為の描写も違法化しようと働きかけ続けています。 [2]今回の与党法案は将来創作物を違法化する為の第一歩であると公言する議員も存在します。

私が日本の児童ポルノの定義が創作物をも含まれるように広げられるのに反対する理由は次のとおりです。

1.誤った対処策だからです。

警察の予算は実在する児童の性的虐待の追求を第一とすべきであり、実在しない児童の福祉を鑑みるべきでありません。日本の国家予算は只でさえ赤字が顕著です。児童福祉の事務所の更なる充実化や学校現場における相談役を増やすのを急務である今日置いてこのような無駄遣いは許されません。

また、実在しない児童の想像上の虐待を違法化することで得られる見返りは非常に少ないと私は思います。それこそ映画の中のカーチェイス・シーンを違法化することで実社会における交通事故の発生件数が減少するのを期待するようなものです。

実社会における児童虐待に対処するのに完全な想像上だけの世界を弄りまわすよりも遥かに適切な対処策はあるのではないでしょうか?

2. 特定の題材を違法化する理由があまりにも筋が通っていません。

実在する児童が関わる児童ポルノは実際に発生した児童虐待の副産物である可能性が高いです。つまるところその内容自体が問題ではありません――児童ポルノを違法とする理由は、その製作過程において実在する児童が虐待を被るような状況に招きかねないからです。如何にしてその作品が作られたかが問題であり、視聴者がその作品を見たときにどのような印象を感じたが犯罪性に結びつくものではありません。どのような内容の映画であったとしても、その映画のスタッフや俳優が拉致されて強制的に制作に携わったのであればその映画は違法化されるべきです。スナッフフィルムという実際の殺人行為を娯楽目的に制作された映画は、殺人行為自体とそれを快楽の為に撮影する事自体が違法であるが故に忌み嫌われ、ご法度なのです。もし映画において殺人行為なる題材を取り扱うこと自体が問題と言うのであるならば、戦争映像集やホラー映画も違法化されなければいけません。

児童ポルノを違法化する理由の一つは子供が性産業に携わらないようにする為にです。ある一面に於いて、児童ポルノ法の基礎は児童労働法の延長線上にあると言えるのであり、児童と性を結びつける人間の思考を一掃する為ではありません。もしそのような思想犯の構築が許されるのであれば、未成年の段階でなんらかの性的干渉を持った人間は総て異常行動を取った病人として区分され、「治療と矯正」が必要となります。

実在する児童が性的虐待を受けているのを扱った児童ポルノは言葉に言い表せないまでにおぞましいものです。人間の悲哀と苦痛を凝縮した行為だからこそ、著者の頭の中だけにしか存在しない行為と混同するのは大変憂慮すべきであると思えて仕方ありません。創作物を含める為に児童ポルノの定義を広めるのは、確固と実在する児童の性的虐待の重大性を軽んじるのに繋がります。

3. 違法行為を奨励すると言う論理が破綻しています。

未成年者を題材とした創作作品の違法化を主張する方々の多くは、そう言った作品の存在が犯罪行為へと人を誘い、実在する児童への性的虐待に対して寛容になるように人を促がすと訴えます。この論点の主軸には性を扱った題材となると人間は自らの衝動を抑える事が出来なくなるのを前提条件としており、創作上の児童虐待の存在自体が児童虐待の発生に繋がるとしています。服役中の有罪であると認められた犯罪者の告白をこの論理の証拠として持ち出される事が多々あります。

しかしこの論理を認めてしまっては、複数の文明の殲滅やその名において人類の歴史上の度々の民族虐殺を促がした聖書を違法化すべきであると結論しなければいけないのに繋がります。沢山の犯罪者は自らの凄惨な行為は聖書の中から書かれた記述によって促がされたと証言する事がありますが、誰もこのような犯罪行為の根源に聖書があるとは認めないでしょう。それはなぜでしょうか――なぜなら自由社会において人は自らの行為に責務を帯びると言う原則があると受け入れているからです。

中には次のような主張をされる方もいらっしゃるでしょう――ほとんどの人々は現実と想像の区分けを理解でき、自分の行動に対して責任を取れるが、児童性愛者や精神的に不安定な人はそれが出来ない。この考え方によれば、影響されやすい人間が刺激的な作品と接してしまうと犯罪行為に繋がるので特定の種別の作品は違法化されるべきであるとしています。これではこの世に飲酒問題を起こす人間が何人か存在すると言う理由で社会からアルコールを抹殺すべきだと言うようなものです。この論拠もまた、想像を絶するまでに乱暴であると言わざる終えません。

更に付け加えますと、日本の警察自身が発行している犯罪統計を見ても性を取り扱った作品の普及と性犯罪の因果関係がまったく認められません。戦後より今日までにエロや暴力を主題とした娯楽創作作品が目まぐるしく増え続けているのにもかかわらず、同期間において犯罪率は劇的に減少し続けています。

4. 法の執行は困難を極め、その効果は非常に限定的と予見できるからです。

現実に存在する人物とは異なり、創作物の登場人物には出生証明書がありません。想像上の人物の「真の年齢」を廻って泥沼を様相を呈する告訴と否定の応酬が吹き荒れるのが容易に想像できます。作者や出版者らは登場人物が若く見えると認めつつも、実際には18歳以上であると主張するでしょう。人の容姿は人種や民族によって大きく異なりますが、想像上の種族などを含めるとその落差は非常に広がります。人間以外の人の形を模した存在――例えばエルフやヴァンパイヤなど――も同じ基準によっては判別されるべきなのでしょうか。それならば写実的な天使や神々の肖像はどうなるでしょう。実生活に於いて行なわれれば明らかに違法と認められるような行為に老若男女・人間と神々の間で耽っているのが多々含まれるギリシャ神話は違法な書物として取り扱われるべきなのでしょうか。

新しい規制に順応する能力においては出版社や作者らは突出しています。もし写実的な表現が違法となれば、抽象的な表現やユーモアな表現が増える事でしょう。もし視覚的表現が違法化されれば、小説やCDドラマなどがとってかわるように増えるでしょう。もし特定の衣服の着用やキャラクターの言動の傾向が追求され兼ねない記号であると認められれば、これらを新しい記号と入れ替えられることとなるでしょう。

こうなるとどんどん多くの記号や概念が人間の根源要素の一つである性との接点を持つことが忌々しいとされてしまうでしょう。或いは、あまりにも無意味な法基準であることが認めれその法律は有名無実となり兼ねません。そのような法律は今まで数多くあり、警察に滅多に運用されることがなくとも、業界内の自主規制を正当化する基盤となり、更には当局と業界団体の間で悪質な癒着を生むのに適した環境の形成に貢献する可能性が否めません。

5. 違法化は創作の萎縮を招き、文化全体を貧しくさせ兼ねないからです。

これまでに未成年の性描写を含む創作物の違法化は数多くの民話、神話、芸術、そして文芸作品を脅かす結果になり兼ねないのを指摘しました。この法律が徹底されれば、図書館から数多くの本棚が空になるでしょう。更には既に個人所有物となっている何億という書物の問題があります。数年前までに購入するのが合法だった本を所有していると言う理由だけで人は法に罰せられなければいけないのでしょうか。

「祖父条項」(既得権条項)を法案の中に盛り込めばコレクターは胸を撫で下ろすかもしれませんが、それあったとしても現代社会に対して重大な影響を及ぼすのは避けられないでしょう。想像上の未成年者と性行為を描写する事を違法化すれば、人間の基礎的根源属性の一つを取り扱う事自体をタブーとしてしまいます。これらの題材を軽々しく扱う人間よりも、真っ向から年齢と虐待について追求する人間に対して風当たりが強くなる為に、作者や芸術で強い社会意識を持った人達から力を取り上げます。

例えこの法基準が頑なに追求される事がなかったとしても、中小の企業と異なり失うものが大きい大手出版社など人目を気にする大企業はより徹底した自社自主規制基準を設けることになるでしょう。既に今日置いて一部の成人向けマンガ雑誌は想像を絶するような自主規制基準は用いている事があります。現実社会でよく見かけるような体型の女性を作品に登場させると「こどもっぽいように見える」という理由を持ち出し、女性登場人物を皆巨乳にするのを要求する編集者に対する不満を露にする作家も何人もいます。もちろん自主規制基準は出版社やアニメ・ゲームの制作スタジオによっては大きくばらつきますが、想像上の未成年者の描写を違法化する法律が可決されれば創作の世界においてより一層に歪曲された形でしか人間社会を映し出せないような環境を奨励をすることになるでしょう。作者の主観性は畏怖によって掻き立てられるべきものではありません。

この法律は「不快で醜く、搾取精神に満ちた作品」のみを対象とするのだと訴える方々は少なくありません。彼ら曰く、建設的な作品や芸術作品は除外されるのだそうです。このような考えはどのように少なく見積もっても愚かしいとしか言いようがありませんし、自分を騙しているとも言えなくもないです。誰が市民全体を代弁して何が不快かどうかを決めるのでしょうか?人間社会を乱そうとして生まれる作品などほとんど存在しません。文芸や芸術の価値は時が流れると共に大きく変わります。過去二世紀を遡って見渡すと、制作された当時の当局からは汚らわしく人を堕落させるゴミ同然とされた作品でも今では非常に貴重な文化的産物としてその価値が認められている例が少なくありません。

不快に感じる作品があれば、それを避けて通れば良い話です。もしあまりにも多くの人々がそのような作品を持ち上げていると感じているのであれば、その傾向を批難する権利は当然あるべきです。理想的にはこのような憤りは創作意欲へと転化し、不快と感じる作品と競争し追い抜き兼ねない優れた作品の作る原動力となるのが望ましいでしょう。文化の豊かさは引き算ではなく、足し算によって成り立つものです。

6. 非常に危うい法律的慣例を作りことになり、あまりにも極端だからです。

犯罪を誘発する因果関係が立証されていないにもかかわらず、想像の領域を抜け出ない不確かな安心を確保する為に、主観的な基準を用いた規制によって社会全体の文化背景が影響を被るような特定の創作作品の違法化が押し進められていると知れば人々は関心を抱くべきですが、これらを総てを差し置いてもっとも憂慮すべきは豊かな想像力を持っていると言う事だけで個人が処罰され兼ねないということです。

未成年の性行為を創作作品で取り扱うのを違法化することは、他人とまったく性行為を重ねた事の無い人間を性犯罪者と仕立て上げる可能性があります。紙に落書きを書いたからと言って人の人生をメチャクチャにする法律的根拠はまったくないと私は思いますが、検討中の法規制が通ればそういった処罰を行なう法律的前例を作ることになります。

反社会的とされる想像上の未成年の性行為を取り扱う作品を個人が創作するのが社会にとって重大な危機であるとされるのであれば、他にどのような反社会的行為の描写を違法化するべきでしょうか。万引でしょうか。いじめでしょうか。強姦でしょうか。階級差別でしょうか。戦争犯罪の描写も違法化すべきでしょうか。

要約すると、このような創作物の違法化はオーウェリアン――即ちジョージ・オーウェルが著作「1984」で紹介した極度な全体主義的警察国家に相応する行過ぎた法規制である――と結論せざる終えないのです。

想像上の未成年者が登場するという理由だけでマンガやアニメ、ゲームを違法化するのは謝った極端な思想犯の構築であり、不確か且つ限定的な効果を得る見返りに自由社会に対して多大な負担を強いる事になります。このような施策がまかり通れば、将来に於いて大変好ましくなかった法規制の一例として名を残す結果になると私は確信します。1920年から1933年の間でアメリカで施行された禁酒法や同性愛行為を禁じたソドミー法、コミックコード自主規制機構、そして戦前の日本における社会主義文芸への規制などと言った数多くある歴史上の重大な規制施策の失策の列にこの法規制は加えられるようになるでしょう。

これらの破綻した倫理啓蒙運動のすべては世の中をよりよいところにしようとする道徳的で貞淑なひたむきな方々によって率いられたものであったのを見落としてはいけません。当初、社会の中の多くの人々はこのような善意に基いた運動を受け入れ、抗議や警鐘を鳴らす一派を人騒がせな人間や極端な意見を提唱する輩と片付けがちです。時間が経つにつれ、規制機構は自らの理で動くようになります。規制施策において、権限の拡大は権益の拡大に繋がる為に規制の番人らにその規制の範囲を広げようとするのを促がします。時によって規制体制は当初の意図されたものからかけ離れた存在へと豹変することがあり、一端このようになってしまうと失策と認められても覆すのは大変困難となってしまいます。失敗に終わった規制システムは撤回された後も、負の遺産となっていくつもの世代を渡って社会への重荷となる傾向があります。

我々は再びそのような過ちを繰り返す必要はありません。

注釈:
1 - http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/hourei/data/APARCP_2.pdf
2 - http://www.unicef.or.jp/special/0705/pdf/kodomo_p_paper.pdf
 

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